春の時間差

春の時間差というか進み具合を見ることができます?

川の駅の裏山は、標高300mあると思いますが、川の駅との差が約200m有ります。桜の花が終わり山裾は緑の葉に覆われつつありますが、頂上部はまだ木の枝のみです。

三国連太郎さんのご冥福を祈ります。

三国連太郎さんは作木にとって深いつながりがあります。それは殿敷を舞台にした農村映画「荷車の歌」で主人公セキの主人役で出演しています。この映画は戦後農協婦人部から一人10円のカンパで作られた庶民投資型の資金調達をとったのが最大の特徴といえる映画です。因みに観客動員数1000万人という記録も作っている。

1958年、全国農協婦人組織協議会大会が開かれ、「荷車の歌」の製作が決定された。この時、三國さんは壇上で10分ほど演説を行っている。

心よりご冥福を祈ります。

(写真は舞台になった庄屋屋敷殿敷です)

桜杯、無事終了

川開き&桜杯カヌー大会inさくぎが終了しました。

大きなアクシデントもなく、晴天にも恵まれて、
無事に終われた事にひとまず胸を撫で下ろしているところであります。
後片付けも一段落して・・・、と書いている最中に雨が降り始めました。
あぶないあぶない・・・。

選手、関係者、そしてご来場くださった皆様、
本当にありがとうございました。
今以上に皆様に愛される江の川カヌー公園さくぎを目指して
頑張っていきますので、今後ともよろしくお願いいたします。

明日の準備中

 

いよいよ明日14日は、川開き&桜杯カヌー大会inさくぎの開催です。
現在ちゃくちゃくと準備が進んでいます。
季節外れの雪が降ったりして天気が心配だったここ数日ですが、
どうやら明日は天候に恵まれそうな感じですね。

競技への申し込みはすでに締め切っていますが、
神楽やフリーマーケットなどの出店もありますので、
カヌー公園さくぎに気軽にお立ち寄りください。

あれから13年

平成12年4月

家で写真を整理していたら平成12年に棚田を撮った写真が出てきました、そこで比較するため同じ場所に行って撮りましたが明らかに違っています。当時まだ棚田の一部は耕作していましたが、現在は写真のとおりです。道路も通行するんのが難しいくらいに傷んでいます。(ちょっとボケました、ちょっとじゃいない・・・・・・・・?すいません)機会があれば撮り直します。平成25年4月

花冷え(雪)

4月11日、昨夜から寒いと思っていたら今朝、家の周りが白く雪が降っていました。今年は暖かかったが、今になって気温が下がる変な天気です。今年がどのような年になるか心配です。(農業が忙しくなる季節です)菜の花、桜、水仙などが雪をかぶっています。

桜花 花冷え雪に 凍えおり 風の中でも 光待ちつつ (駄句)

港で雪が積もりました。

作木の味の新メニュー

 

 

 

 
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新メニューの登場です。
カヌー公園内レストランカノエの「コシあり!つけ麺」と、川の駅常清の「ちち湯豆腐」。
どちらも作木町の食材をふんだんに使ったメニューです。

「三次のぐるめ」にも選ばれた作木の味を是非とも堪能してみてください。

三江線花見列車

あいにくの雨の中花見列車が通過しました。今年はこぶしの花、桜、三つ葉つつじと同時咲きました。参加された皆様大変残念でした?雨の三江線も一興ですかね!昨日は最高の花見日和でしたが・・・・・・・・・・・・・・・・またの是非にお出で下さい。

写真は江平駅駅を通過中の2両編成の特別列車です。手前の花はモクレン列車の上の花は山桜、駅手前の花はソメイヨシノです。

 

一輪草

群生とまではいかないが、一輪草がたくさんあります。

花茎の先に花を一輪咲かせることから、イチリンソウ(一輪草)という、茎が二本に分かれて花の咲くものを二輪草という。

地域によれば天然記念物指定されているところもある。

 

ヤマブキの花

ヤマブキが江の川沿いに群生していました。綺麗なものです。この歌を思い出しました。

七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき

太田道灌は鷹狩りにでかけて俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、思いもよらず年端もいかぬ少女が出てきたのです。そしてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。

その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに【七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき】という歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。
驚いた道灌は己の不明を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。(太田道灌ヤマブキ伝説より)