さくぎ号の船出

長い間艇庫に眠っていた高瀬船が、出艇し春の順風を受けて帆走中です。

川の中に浮かんで走ると気持ちいいだろうと思いますが、現在陸に上がって風を受けています。

お客様の中には舟に乗って記念撮影をする方も多数いらっしゃいます。

連休中は展示いたしますので、お出かけの時には川の駅にも立ち寄ってください。

なお酒粕やわかたの酒、タケノコなど店頭で販売しています。5月3日からは、山女魚の塩焼きなどをを販売します。

二輪草

作木にも多くではありませんが有ります。川中美幸の楽曲にもありますね。

日本各地から東北アジアに広く分布します。
この20年ほどの間(2010年現在)に急速に個体数を減らしていて、現状ではごく限られた地域だけで確認されるだけになっていて、地域絶滅が危惧されます。

交通死亡事故ゼロ継続11,500日達成

川の駅の前で早朝7時ころから記念の交通安全推進大会がありました。

昨日交通死亡事故ゼロ継続11,500日達成しこれを記念したものです。この記録は昭和56年10月30日(1981年)より継続中の記録で広島県はもとより全国的にも特筆すべき記録です。(作木では32年間交通死亡事故が発生していません)

当面12,000日をめざして更に啓発運動を進めるそうです。作木町を通行される皆様安全運転にご協力ください。

写真は作木中学の生徒さんがが朝練の途中、記念撮影に入ってくれました。

アダプト事業(平成25年第1回)

本年第1回のアダプト事業を行いました。肌寒い中ではありましたが、職員多数参加し、約2kmを行いました。

先日、川の駅のある地域が環境整備で行われたにもかかわらず、多数の放置された缶やゴミが有りました。モラルの低下を痛感しました。気を付けていただきたいですね。今年あと3回行う予定です。

 

 

 

 

 

ゴミを集めていたとき、驚かしたのか鳥が飛び立ち周りを見ると、何の鳥か知りませんが巣があり卵が4個ありそっとして巣を離れました。鳥には申し訳なかったですね。

春の紅葉?

春に紅葉?今山が紅葉のように見えます。

江の川周辺の山の木は、川端は混ざり気のない緑色、その他萌木色、山桜やケヤキ、モミジなどは葉が赤く見えます。春の紅葉のような感じがします。

江の川周辺に住んでいると、毎日山の色川の色が変化し、これもまた楽しみです。

三国連太郎さんのご冥福を祈ります。

三国連太郎さんは作木にとって深いつながりがあります。それは殿敷を舞台にした農村映画「荷車の歌」で主人公セキの主人役で出演しています。この映画は戦後農協婦人部から一人10円のカンパで作られた庶民投資型の資金調達をとったのが最大の特徴といえる映画です。因みに観客動員数1000万人という記録も作っている。

1958年、全国農協婦人組織協議会大会が開かれ、「荷車の歌」の製作が決定された。この時、三國さんは壇上で10分ほど演説を行っている。

心よりご冥福を祈ります。

(写真は舞台になった庄屋屋敷殿敷です)

花冷え(雪)

4月11日、昨夜から寒いと思っていたら今朝、家の周りが白く雪が降っていました。今年は暖かかったが、今になって気温が下がる変な天気です。今年がどのような年になるか心配です。(農業が忙しくなる季節です)菜の花、桜、水仙などが雪をかぶっています。

桜花 花冷え雪に 凍えおり 風の中でも 光待ちつつ (駄句)

港で雪が積もりました。

三江線花見列車

あいにくの雨の中花見列車が通過しました。今年はこぶしの花、桜、三つ葉つつじと同時咲きました。参加された皆様大変残念でした?雨の三江線も一興ですかね!昨日は最高の花見日和でしたが・・・・・・・・・・・・・・・・またの是非にお出で下さい。

写真は江平駅駅を通過中の2両編成の特別列車です。手前の花はモクレン列車の上の花は山桜、駅手前の花はソメイヨシノです。

 

一輪草

群生とまではいかないが、一輪草がたくさんあります。

花茎の先に花を一輪咲かせることから、イチリンソウ(一輪草)という、茎が二本に分かれて花の咲くものを二輪草という。

地域によれば天然記念物指定されているところもある。

 

ヤマブキの花

ヤマブキが江の川沿いに群生していました。綺麗なものです。この歌を思い出しました。

七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき

太田道灌は鷹狩りにでかけて俄雨にあってしまい、みすぼらしい家にかけこみました。道灌が「急な雨にあってしまった。蓑を貸してもらえぬか。」と声をかけると、思いもよらず年端もいかぬ少女が出てきたのです。そしてその少女が黙ってさしだしたのは、蓑ではなく山吹の花一輪でした。花の意味がわからぬ道灌は「花が欲しいのではない。」と怒り、雨の中を帰って行ったのです。

その夜、道灌がこのことを語ると、近臣の一人が進み出て、「後拾遺集に醍醐天皇の皇子・中務卿兼明親王が詠まれたものに【七重八重花は咲けども山吹の(実)みのひとつだになきぞかなしき】という歌があります。その娘は蓑ひとつなき貧しさを山吹に例えたのではないでしょうか。」といいました。
驚いた道灌は己の不明を恥じ、この日を境にして歌道に精進するようになったといいます。(太田道灌ヤマブキ伝説より)